知人が『遠慮』についてfacebookに書いていました。「日本人の美意識にある遠慮は、度を過ぎると迷惑になることもあり、またチャンスを逃す言い訳になってしまうことがある」と。
例えば、電車を待つホームの先頭が、黄色い線のかなり後ろに立っていることは周りの迷惑であったり、ビジネスの世界でも先輩に気を使い過ぎてチャンスを逃してしまったり。
遠慮深いならどこまでも遠慮深くいてほしいのですが、遠慮深そうに見えて案外損得に敏感だったりする人も少なくありません。
遠慮は他人に対して言葉や行動を単に控えるだけでなく、積極的な遠慮だったらいいですね。乗り物ではお年寄りに積極的に席を譲る、まず自分から積極的に挨拶する、ゴミが落ちていたら積極的に拾う、トイレットペーパーが切れそうなら積極的に交換する・・・他人に期待せず、いつもそう振舞えたら素敵なおじ様になれそうな気がします。
遠慮の語源は論語にあります。『遠くに慮(おもんぱか)りなければ必ず近くに憂いあり』(衛霊公第十五)
目先のことにとらわれず、先の先まで思いを巡らさなければ、必ず身近なところに思いがけない心配事が起こるものだ、という解釈です。現代の遠慮とはずいぶん意味が違います。
積極的遠慮といって思い浮かべるのは、私が尊敬するI社長です。I社長は社内でいいことがあると必ず社員の手柄にしてあげます。社員が良い気持ちになるとまたお客様や会社のためになってくれると信じているのです。
私など足りないところばかりで勉強になります。