駕籠に乗る人

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 いつの時代にも理由もなく威張る人っていますね。そんな人は誰からも嫌がられます。本当に力のある人は威張ることなく、むしろ包み込むような優しさがあるものです。

 おかしいのはご主人が社会的な地位を得ると、奥様までもが偉そうに振舞うケースがあることです。

 私が若いころ仕えた上司のお宅へ伺った際、奥様が上司以上に私たち部下に偉そうに振舞った時には、しらけたというか、気の毒にさえ思えたものでした。

 そういう私はどうかというと、自分が映る動画を見ると、なんだか威張っているように見えてしまいます。他人の目にはどのように映っているか分かりませんが、私は見る度に少し凹んでしまいます。

 気の弱い者ほど威張り散らすと言いますから、もしかしたら私の気の弱さの表れかもしれません。

 昔から『駕籠(かご)に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人』といいます。

 このことわざを学生時代に聞いたときには、最上の駕籠に乗る人は総理大臣ってことか、将来はより上級の駕籠に乗る人になりたいと思ったものです。

 今になれば、これは社会的立場の上下の例えではなく、世の中にはさまざまな役割分担があり、お互いが持ちつ持たれつの関係にあることだと解釈しています。

 駕籠に乗る人には草鞋なんて作れませんし、威張ってばかりだと担ぎ手にひっくり返されてしまいます。草鞋作りが駕籠に乗ってはお国の将来は心配です。

 それぞれの立場で違った悩みや苦労、重圧があり、お互いが理解し合えたらいいのですが、その立場にならないと分からないことも多いものです。

 一旦与えられた立場は未来永劫変わらぬものではありません。また違った能力や技能を身につけたら、それに見合った役割や立場が用意されている組織がいいですね。