足りない感謝

LINEで送る

『吾唯足知(われただたるをしる)』……枯山水で有名な龍安寺にあるつくばい(蹲)に彫られている文字です。

 満足を知っている人は、たとえ貧しくても幸せであり、反対に満足を知らない人は、どんなに大金持ちでも不幸である、といった意味でしょうか。

 私自身も感謝が十分でない人間なので偉そうに言える立場にはないのですが、どんなに恵まれた環境にある人でも感謝が足りないとその報いは必ず来るのだと思います。

 人生はバランスが取れていて、良いことばかりも悪いことばかりも続きません。不快でたまらない出来事にさえ、何かしらの贈り物が隠されているものです。

 生死の境をさまよう困難な経験をした人には、その後の人生を他人のために捧げた結果、社会的な成功を収める人も少なくありません。

 田坂広志さんは、大成する経営者の条件として、投獄、戦争、大病の経験を挙げています。生死の境から戻ってきたことで、生きて何かを為さんとする使命感が生まれるのでしょう。

 私など、この年になるまで何の苦労もなかったとは言いませんが、田坂さんが言われるような困難は経験しておりません。感謝の足りなさはそんなところから来るのかもしれません。

 人類の歴史から見ても、宇宙の歴史から見ても、私たちの一生などほんの一瞬に過ぎません。灼熱、氷河期、隕石の衝突を経験した地球も、いまは絶妙にバランスがとれた穏やかなあり得ないほどありがたい環境にいられるのです。そう考えると、感謝の少ない私でも生かされていることがありがたく思えてきます。

 ちっぽけな出来事にいちいち悩んだりはしゃいだりしていられません。地球規模から見たら鼻くそにも満たない話なのですから。

 欲張らずに小さなことにも感謝できる人間になりたいものです。分かってはいるのですけど……。