箸の使い方

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「至誠」。子どもの頃、私の部屋の壁に貼られていた色紙に書いてあった文句です。その色紙は野口英世による書のレプリカでした。野口英世の伝記を読んで感動した私に、福島へ行った父が買ってきてくれたものでした。

 だからという訳ではありませんが、今年の社員旅行は福島への旅でした。東北の友人に誘われての旅先決定でもあり、また友人の解説もあり、東北の現状をしっかりと見聞できた意義ある二日間でした。

 そんな行程の中、あまり期待もせずに訪れた会津の藩校「日新館」には心を動かされました。いま私たち日本人に足りていないものすべてが、あそこにはあるように思えたのです。江戸時代も半ば過ぎ、当時の諸問題を解決するためには教育の振興が欠かせないと創設されたのが日新館です。藩の振興のためにも、ゆとり教育ではなく教育振興がテーマだったのです。

 会津藩士の子弟は10歳になると日新館に入学し、武道だけではなく論語をはじめとした四書五経、数学、天文学、医学、小笠原流礼法、能楽等々さらには水引の結び方から箸の使い方まで教えられていたのです。

 いまの学校制度は英数国社理など知識偏重の教育ですから箸の使い方までは教えてくれません。そこは家庭任せですから、時々ビックリするようなアクロバティックな箸使いをする人に出会うことがあります。その使い方ひとつで、その人の育ちや教養の程度を判断されたりしますので、たかが箸と侮れません。

 箸の使い方がひどい人たちの共通点は、誰一人としてそれを自覚していないことです。そもそも自覚していたら恥ずかしくて直すでしょうが、自覚できていないのですから直しようがありません。

 かつて箸の使い方を指摘されたある社員から、家に帰って食卓で家族の手許を見たら家中で同じ使い方をしていたという笑えない話を聞いたことがあります。礼法や文化の伝承は家庭任せにはしておけません。

 箸の使い方や所作とは言わないまでも、挨拶、電話、靴の脱ぎ履き……学校で世に出てから役に立つようなことを日新館の10分の1でも教えてくれたらいいのにと思います。こんな混迷極まる世の中を良くしようと思ったら、即効性はなくとも教育の振興が最も有効なのは歴史が証明するところです。

 しかし、いまの学校では挨拶の仕方ひとつまともに教えてもらえませんから、結局のところ入社した職場で教えるしかありません。中小企業にできることは知れていますが、社会の片隅からでも小さな変化を起こしたいものです。

 話は戻りますが、もしかしたらと思っていた「至誠」の色紙がやはり野口英世記念館にありました。もちろんレプリカですが小学生のころ見ていたものと同じものです。亡き父と同じように、私も息子のお土産に買って帰りました。

   【日新館「什の掟」】
         一、年長者の言うことには背いてはなりませぬ
        一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
        一、虚言をいふ事はなりませぬ
        一、卑怯な振舞いはしてはなりませぬ
        一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
        一、戸外で物を食べてはなりませぬ
        一、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
            ならぬことはならぬものです