ガリバー

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 国連の発表によると、日本の人口は2010年の約1億2600万人から2100年には約9130万人に減少。一方、平均寿命は延び続け、2095〜2100年に男性が89.0歳、女性は95.7歳になるのだそうです。

 日本はますます長寿大国となっていくのですが、連休中に読んだ「ガリバー旅行記」(ジョナサン・スウィフト著)に、「死」について興味をひかれる部分がありました。

 冒険家ガリバーが小人の国に流れ着く部分は誰もが知っているところですが、この物語はそこで終わるのではありません。その後もガリバーは冒険を続け、その度に不思議な国に流れ着くことになります。巨人の国、不死の国、最後には馬と人間の立場が逆転した国に流れ着くという物語です。

 その不死の国では、ごく稀に永遠に死なない人間が生まれてくるのです。人が永遠に死なないとしたら、どんなことがおこるでしょうか。節約し200年もせっせと働けば大金持ちになれますし、学問に精進すれば他に並ぶ者のいない大学者になれてしまいます。とにかく時間はたっぷりあるのです。普通に考えたら幸運な人たちと思えるのですが、あにはからんや。

 実はこれは、その国においては決しておめでたい話ではないのです。ガリバーがそこで発見したのは、不死ではあっても不老ではないことであり、有老不死の老人たちがいかに忌まわしいものであるかということだったのです。

 永遠の若さ、永遠の健康、永遠の元気があっての不死、つまり不老不死であるなら大歓迎です。しかし年をとると、体力も気力もなくなり、病気にかかっても治らず、頑固で、気難しくて、貪欲で、不機嫌で、愚痴っぽくて、嫉妬深くなるのです。人の死に対してまで嫉妬するようになるのです。

 他人の葬式に出会うと、自分たちには決して行くことのできない永遠の憩いのあの世に、他の老人がいってしまったということさえも嘆き悲しむのです。

 こうなると、人の死には意味があると思えてきます。不死の世では困ったことがたくさん起きてしまいます。死という現象はなくてはならないもので、与えられた限りある命だからこそ真剣に全うしたいものです。

 先の東日本大震災では2万人を超える死者行方不明者が発表されています。心の準備もないまま、大切な人と会えなくなるのですから切ないものです。天寿を全うした別れとは別のものです。

 地震かどうかはともかく、こんな世の中ですから私たちはいつ何時どんな災難に見舞われるか分かりません。もしも朝、出かけに大切な人と喧嘩でもして、なにかの事故でそのまま帰らぬ人となったら本当に悔やまれます。

 だからというのではありませんが、私が絶対にしないことのひとつは、朝の出勤前に家族に対して怒ることです。お互いその一日を、嫌な思いを抱えながら別々に過ごすのは楽しいことではありません。ですから、朝は絶対に怒りません。しかし夜帰ってから怒ることはありますし、怒られることもしばしばです。