税理士として多くの会社とお付き合いしていると、その場にいることが楽しくないなと思う場面に出会うことがあります。特にそのように感じる場面は、父親である創業社長に対して後継予定者であるご子息が正面切って批判しているときです。親子喧嘩のようなものなのですが、傍から見ていてあまり楽しいものではありません。
この厳しいご時世ですから、創業者である父親も経営者として悩み苦しみ、業績的にもうまくいっていない会社も少なくありません。しかし、それを他人事のように批判したところで、なにも改善されることはありません。口先で文句を言っている暇があったら、父親の力になるべく頑張って実績さえ上げたらすべては解決されるのです。
そうはいっても現実には、その二代目が実際に実績を上げることができたとして、父親に悪態をついているような人に社員が尊敬しついていくでしょうか。その態度を見ている社員やこどもたちからもいずれ同じ報いが返ってくるのです。自らの価値を下げるその行為の愚かしさに気付いてほしいものです。
親は自分の過去の反省も込めて、わが子に同じ轍を踏まさぬよう、教育環境を含めて出来る限りの機会を与えるものです。ご子息がある部分で親より優れていたとしても、親からいい環境を与えられたのですから当たり前のことです。ひとりで偉く育ったわけではありません。
少なくとも、父親が苦労を重ねて続けてきたその事業で自分たちは育ててもらい教育を受けさせてもらってきた筈です。親には、良い面も悪い面もあるにせよ、それもこれも含めていまの自分たちがあるのです。過去の一部でも否定するなら、いまの自分たちの存在すらなかったことになるのです。自分にとって気に入らない、都合の悪い部分のみを否定することはできません。
私にも既に父はいませんし、社内には若くして父親を亡くした社員もいます。どんな親でも、いてくれるだけでありがたいものです。親を思う気持ちの足りない経営者がどうして社員を大切にできるというのでしょうか。
『子(し)曰(のたま)わく、父母に事(つか)えては幾(ようや)くに諌(いさ)む。志(こころざし)の従(したが)われざるを見ては、又敬(けい)して違(たが)わず、労(ろう)して怨(うら)みず』(論語:里仁第四)
(万一、父母に過ちがあった場合には、子たるものはそれとなく穏やかに諌めるがよい。それにもかかわらず、父母がその諌めを聞き入れない場合には、あくまで敬って強いてその意見に逆らうべきではない。)