わが国の自殺者は12年連続で3万人を超えるという異常事態が続いています。いったいどうして日本はこんな国になってしまったのでしょうか。それとも昔からこんな国だったのでしょうか。
かつて武士の時代には、戦場で死ぬか本望を遂げられなかったら切腹するのが美徳とされました。畳の上で命を落とすなど武士にとっては恥だったといいます。本望を遂げられなかったときには自分で始末をつけ、どのように腹を切るのかが武士にとっての美しい生きざまの最後を飾る散り方だったのです。そこには天寿を全うするなどという考え方はなかったのでしょう。
太平洋戦争末期の特攻兵にもそんな武士の生き方を感じてしまいます。自分のためではなく、愛する人たちのため、祖国のために志願して若い人生をささげるのですから今では考えられません。
現代の自殺の多くも、生き恥をさらすのなら腹を切るという日本人が持つ潜在意識が顕在化したものなのかもしれません。しかしそんな考え方は否定すべきです。生きることでしか人様のためにはなれないのですし、そもそも人は生きていることそのものに意義があるのではないでしょうか。
世界には1日を1ドル以下で生活する、つまり食べることだけで精一杯の人たちが10億人以上いるといいます。わが国は不景気とはいえお腹いっぱい食べられる人たちばかりです。それでも年間3万人も自殺者が出てしまうのですから、何が幸せで何が不幸なのか分からなくなってしまいます。
ある幸福度に関する意識調査では、世界178国中で日本は90位という結果でした。同じ調査で8位に入った国がアジアの小国ブータンです。この国、どこにあるのかご存知でしょうか。おそらく多くの人にとってどこにあるのかさえも分からない、そんな国です。
ブータンはGDPが世界で158位という最貧国と言ってもいい発展途上国です。にもかかわらず、自分たちを幸福だと思っている人の割合は日本人よりはるかに高いのですから不思議な国です。
これはブータンの前国王がGDPに代わってGNH(Gross National Happiness)「幸福こそ人の、そして国家の究極の目標」という概念を提唱したことに影響されています。
人々が情緒的に豊かであるとか、イキイキしているかということは生産性とはあまり関係がありません。幸せは心が決めると思うと、経営に対する考え方も少し変わってくる気がします。