最近、やたらと個人情報保護が問題にされますが、正直少し行き過ぎではないかと思っています。個人情報と言えばすべてに優先される免罪符のような扱いを受けていることに、わたしは少し違和感を覚えています。なんて言うと時代に逆行している税理士のように思われるのではないかと、この発言には少し勇気が要りました。
先日、ある銀行員から、「当行では電話に出る時に名前を名乗らないのは、個人が特定されると差し障りがあるからです」と言われ驚いてしまいました。電話で名前を名乗ることによる、個人に対する嫌がらせやストーカー行為を警戒するらしいのです。しかし、ビジネスの看板を掲げた瞬間から多かれ少なかれリスクは発生するのです。そこで1万件に1件のレアケースまで恐れていたなら、ビジネスどころか社会生活そのものが成り立たなくなります。電話で名前を名乗ったなら、態度の悪い横柄な銀行員は確実に減ると思いますから、そんなところで個人情報を盾にして欲しくはないものです。
このところ問題になっている、宙に浮いてしまった5000万件の年金についても、国民をいくつもの番号で管理していたからこのようなことが起こったのであって、国民全員に生まれたときから背番号をつけていたなら、ほぼ防ぐことができた筈です。ところが、ここでも多くの人が国民総背番号制に対してプライバシーや個人情報を持ち出して反対するから困ってしまいます。
確かに情報管理する側の役人に対する信頼にも問題があり、もしも情報が洩れたらと、国民は本能的に拒否反応を示してしまうのかもしれません。しかし現実に、1億2千万人を超える国民は、必要に応じてそれぞれの機関にそれぞれの番号で管理されているのです。ならば、効率的に保護管理してもらうためには、特定の項目については統一された番号で管理するがいいに決まっています。「番号管理では人間が虫けら扱いだ」と言った人がいましたが、そこは風情や人間味を求めるところではないのです。
文明社会に住んでいるわたしたちは、最低限の管理については受け入れるしかありません。引っ越したり、転職したり、また結婚して姓が変わったときにも、転入転出、年金、健康保険、納税、自動車免許など手続きが一つの窓口でできたらどんなに便利なことでしょうか。今回の年金問題のように、自分の情報がどこに紛れてしまったか分からないような管理と、どちらがいいかは比べるまでもありません。
そして経済行為についても、請求書や領収書に発行者の背番号記載を義務付けるだけで多くの脱税は防ぐことができます。発行者の背番号が記載されていない領収書や請求書は、税務上は経費として認めない旨を定めるだけでいいのですから効果抜群と思うのですがいかがなものでしょう。