かつて人生50年と言われた日本人の平均寿命が、50歳を超えたのは戦後の1947年ことでした。
それから70年、日本人の寿命は男女ともに80歳代へ大きく延び、行政も人生設計もまったく違うものになりました。これは人間そのものが進化したのではなくて、医療をはじめとした環境の変化がそうさせたのです。
しかし、これ以上長生きする社会が必要なのでしょうか。健康で経済的にも不自由のないお年寄りが増えることは結構なことですが、お年寄りが増える一方で若者が減っている現実もあります。
子供のころ「ガリバー旅行記」を読んだ方は多いと思います。冒険家のガリバーが小人の国に流れ着いた話は有名ですが、この物語はそこで終わりません。その後もガリバーは冒険を続け、その度に不思議な国に流れ着くことになります。巨人の国、不死の国、最後には馬と人間の立場が逆転した国に流れ着くという物語です。
その不死の国では、ごく稀に永遠に死なない人間が生まれてくるのです。人が永遠に死なないとしたら、どんなことが起こるでしょうか。普通に考えたら幸運な人たちと思えるのですが、あにはからんや。
これはその国においては決してめでたい話ではないのです。ガリバーがそこで発見したのは、不死ではあっても不老ではないことでした。永遠の若さ、永遠の健康、永遠の元気があっての不死でしたら大歓迎ですが、老いても死ぬことのできない老人たちがいかに忌まわしいものであるかということだったのです。人の死には意味がありそうです。
江戸時代に書かれた狂歌に次のようなものがあります。
しわが寄る ほくろができる 背はちぢむ あたまはハゲる 毛は白くなる
手はふるふ 足はよろつく 歯はぬける 耳はきこえず 目はうとうなる
身におふは 頭巾えり巻き 杖 眼鏡 たんこ温石 しびん 孫の手
くどくなる 気みじかになる 愚痴になる 心はひがむ 身は古くなる
聞きたがる 死にとうふながる 淋しがる 出しゃばりたがる 世話をしたがる
またしても おなじはなしに 子をほめる 達者自慢に 人はいやがる
江戸時代の老人も現代の老人もまったく同じです。ありがたい存在であるとともに少しメンドクサイ存在なのかもしれません。これから老いに向かう私も心しないといけません。