第一印象は、“ピンクのネクタイで謝りに行ったのか!”ですね。とても強い人なので誰も彼には意見ができなかったのでしょう。
日大アメフト部内田監督のことです。謝罪会見を見て、強い言葉の中にスポーツマン精神は感じられませんでした。
勝つためには手段を選ばず・・・・・・ビジネスの世界では三流社長にありがちですが、スポーツの世界にはあってほしくありません。
勝つことは大切ですが目的ではありません。高校球児たちは甲子園が目的だと思いがちですが、指導者にはその先にあるものを教えてもらいたいものです。
スポーツマン精神が求められるのはなにもスポーツだけではありません。学校でもビジネスの世界でも、放っておくとやり方重視になりがちです。ルール以前の相手に対する尊敬や礼節、これが世界基準のスポーツマン精神です。
自らが勇気を持って判断し、個人と組織のバランスを求められるのがスポーツです。それが身についている体育会出身者の多くは社会で重用されます。その意味で、スポーツには社会の問題解決のヒントがある気がします。
将来、周囲の人たちにいい影響をもたらし、世の中の役に立てたら、そこではじめて甲子園の経験にも意味が生まれます。
しかし清原和博のように人生の階段を踏み外したのでは、甲子園優勝もドラフト1位にも意味がなくなります。
仏教の教えは「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」と知るところから始まります。より簡単に、より要領よくも大切ですが、思い通りにならない苦悩を一つひとつ乗り越える過程で人間が磨かれて格が上がるのだと思います。その意味では、学校も職場も修行の場です。
出来た経営者は、成功の階段を上るに従って人を導く教育者になっていきます。私自身はまだまだですが、そんな経営者が好きです。