有り難う

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 私たちの多くは日頃から、この世に人として生を受けたことに対して格別ありがたいと思うことはありません。

 思えば、私がこの時代に生を受けたこと、人並みの教育を受けられたこと、大病もなく還暦過ぎまで不自由なく生きて来られたこと、多くのご縁に恵まれたこと、何よりもこの平和な日本という国で生活できていること・・・どれも只ならぬことです。

 特に決意や努力をしてこの環境を得たわけではありません。もしかしたらミミズやオケラどころか、ぺんぺん草やコロナウィルスに生まれたかもしれないのです。

 そう考えると、ここに生きていることそのものに感謝と感動があって然るべしです。むしろ感謝の念が起こらないことが不思議に思えてきます。

 そもそも本来ならば「無」、私自身は存在しないのが当たり前なのです。その当たり前を越えて存在していることは難きが中のなお難いこと。命をいただいて存在していること自体が「有ること難き」ことです。

 こんな大事な事さえ気にもせず生きているのですから、身の回りで起きていることはなお当たり前すぎて感謝の念も湧かなくなります。

 よくよく考えると「有り難う」はとても素晴らしい日本語だと思えてきます。英語の「Thank you」や中国語の「謝々」のように何かをしてもらったことに対するお礼の言葉ではなく、本来であれば無くて当たり前のことに対する感謝の言葉が「有り難う」と思うと、これからは「ありがとう」ではなく「有り難う」と書くことに今決めました。

 自分に与えられている根本的な恩恵を当然と思っている間は、それを生かすことは出来ない気がしてきます。元来与えられる資格もないのに与えられたのです。そう思うと、自分自身の生き方を考えてしまいます。邪念に塗れている場合ではありませんね・・・今日も反省です。