今から40年前の学生時代に住んでいた木造アパートは、風呂なし、エアコンなし、電話なし、トイレは共同・・・なんの不便も感じていませんでした。これは当時の学生が暮らす標準的なアパートでしたから。
不便は便利さを知らないと感じないものです。携帯電話を知らない頃はポケベルだって便利に思えました。スマホを知ってしまったらガラケーが便利とは思えません。
オリンピックで来日した外国人の多くが、日本の24時間営業のコンビニ、時刻表通りに動く電車・バス、街中の自販機、ウォシュレットに感動したそうです。もちろん日本人には当たり前過ぎてなにも感じません。
便利であることはいいことだと思われがちですが、本当にそうなのでしょうか。慣れてしまえば便利とも思わず、いいことだとも思わなくなるものです。
通信機器の発達は世の中を劇的に変えました。私が小学校低学年の頃は、電話のある家庭は数十軒に一軒程度でした。遠隔通信の手段は手紙が中心でした。いまや通話料フリーで世界中と繋がることができます。それで私たちは幸せになれたのでしょうか。
どうやら便利さと幸福とは比例しないようです。ビジネスマンの心の病が増えたのは、ポケベルや携帯電話の普及に関係があると思います。
どこで何をしているのか常に会社から管理されてしまいます。デキる営業マンほど喫茶店で油を売っていたのは昔の話です。顧客からは、携帯やメールの着信に返信が遅いとクレームがきます。相手の都合など関係ありません。
豊かさを享受しているのに豊かさを感じられない、便利になっているのに便利さを感じられません。
ならばこれ以上の便利さは要らない気がします。便利さよりも幸福感を追求したいものです。他人との比較では、どこまでいってもキリがありません。自分で決めたモノサシで幸福感を追及できたらいいですね。
あなたにとって幸福ってどのような状態をいいますか?