佐々木
最近、このタイトルの言葉を良く思い浮かべています。
これは、陽明学者である安岡正篤先生の座右の銘の一つで、「ただの閑は退屈でしかない。真の閑は忙中である。ただの忙は価値がない。文字通り心を亡うばかりである。忙中閑あって始めて生きる」という意味です。
私は、勤勉な日本人らしく忙しいことはとっても結構なことだと思っていますが、私がやっているのはまさしく、“ただの”忙だな、ともしみじみ思っております。
なぜならば、何でもかんでも忙しさを理由にしていろいろ諦めているからです。落ち着いたらなんて言っていたらあっという間に年が明けて桜が咲いて毎年同じことの繰り返しになってしまうであろうと己を顧みる日々です。
話は変わりますが、ロシアのウクライナ侵攻、戦争ですね。どこで聞いたのか忘れましたが、本の中だったか映画で観たのか、平和というものは戦争と戦争の隙間に生まれるもので、日本はずっとその隙間にいるんだと。
ずっと緊張の最中(さなか)に在るのは耐え難いものですがその中でも心の拠り所を見つけていかなければならないと、昨今の世界の情勢と合わせ見て想いを致しております。