秋吉
仕事が忙しかったり日々の生活に忙殺されてしまったりすると自分を見つめ直す時間がなくなり、自分と会話をする余裕もなくなってしまいますが、そうすると自分が進んでいる方向が合っているのか合っていないかよくわからなくなってしまいます。
頭で物事を理解しようとする人は特にその傾向が顕著なのだそうです。私の場合はその傾向が強いと昨年通った勉強会で講師の方に指摘をされたのですが心当たりのあることでドキッとしてしまいました。
自分の心の声を聞くためには少し頭を休めて空白を作ると良いと聞き、何か良い方法はないかと考えた時に思いついたのが「座禅」でした。調べてみると偶然にも近くのお寺で隔週の週末に早朝座禅会を開催しており、そんなことで座禅会に通い始めたのが今年の始めです。
朝の7時にお寺に行き休憩を挟んで25分、2セットの座禅を行い、お経を合掌して住職の講話を聞いて9時には終了という内容です。
仕事などと重なり不定期ではありましたが座禅会に通って気が付いたことは、心がどうのと言う前に25分間動かずにじっとしていることは辛いということでした。残念ながらまだまだ心の変化を感じるようなレベルではなく、眠い、辛い、という肉体的な苦痛の方が先にくるそんな段階です。
ただ、そんな中でも自分の呼吸に意識を集中して一時間近くの座禅を行っているとその間の静寂は非日常的でとても気持ちが良く、また、深く考えたことのなかったお経も少しずつですが書いてある中身を理解してくるととても深い内容で気づきを与えてくれます。そして住職のお話を聞いていると、小中学校で先生の話を聞いていた時のような少し懐かしい感覚になります。
座禅の効用については本やネットで調べると色々と分かりやすく解説されていますが自分が未熟だからでしょう、どれもしっくりこず、今のところの自分にとっては「修行」という言葉が一番近い感じがします。
そういった意味では当初の目的である「頭を休憩、心のゆとり」という体験はできていないですし、そういう境地にたどり着くのかもよくわかりません。ただ、住職も仰っているのですがきっとこういったことは続けて、続けて、続けていく中でいつか自分なりの意味を得られるのではないかと想像して楽しみな気持ちでいます。