会社や家庭で「私が若かったころは」なんて話をすることがありますが、話しながら年齢は重ねたくないなと凹むことがしばしばです。
私が生まれたのは1959年、太平洋戦争終戦から10数年後です。戦争を知らない世代ですが、幼いころは街で傷痍軍人さんを見かけることもあり、またいつか戦争が起こるのではないかと不安な気持ちになったものです。
実際にその後も現代にいたるまで世界のどこかでいつも戦争が起きています。日本は、戦後GHQの思惑通りなのか、元々の国民性なのか分かりませんが、とにかく平和な状態が続いています。
戦後を近隣諸国と比べたとき、日本の平和度は際立ちます。お隣の韓国には徴兵制があり、クーデターによる政権交代、大統領経験者の亡命、暗殺、逮捕、自殺はお決まりコースです。北朝鮮は自国民を飢えさせてもミサイルを飛ばしていられる国です。中国は香港を見て分かる通り恐ろしく自由が制限されています。台湾は中国との関係で常に緊張感に包まれています。
日本は平和であるだけでなく豊かな社会になりました。私が物心ついたころ我が家には白黒テレビと洗濯機はどうにかありましたが、もうひとつの三種の神器と言われた冷蔵庫はまだありませんでした。冷蔵庫や電話、自動車が備わったのは10歳のころだったと思います。
それまで持てなかったテレビ、洗濯機、冷蔵庫、電話、自動車がわずか10年の間に一般家庭に揃うのですから随分の変わり様です。それ以前の100年の変化にも匹敵します。途上国の成長過程のように、世の中全体が明るい未来を予感し沸き上がっていた時代でした。
そして今、DXだIOTだと言って変化はさらに加速しています。しかし、平和さや豊かさと幸福感とは別物のようです。
30歳までの私は、日本はずっと右肩上がりに成長し続けると信じていました。しかし結果は違いました。この30年間成長しない日本の未来に、若者たちは夢を持てなくなっているのです。
未来はいまの若者たちにとっていい時代にならなくてはいけません。そのためには、若者たちに大きな声をあげてもらいたいものです。国、街、会社は自分たちのものです。小さな声で不平を言うのではなく、自分たちの力で身近なところから変化させてほしいものです。
自分だけが上手くいく幸福感もあると思いますが、それはいつ躓くか分からない危うい幸福感です。みんなで上手くいったら安心です。多少乗り遅れたって拾ってもらえる社会がいいですね。