習慣には良い習慣と良くない習慣とがあります。私にも他人に言える習慣と言いたくない習慣があります。あなたにはどんな習慣がありますか。
私の朝は、神棚の水を交換して祝詞をあげ、父と義母の遺影に手を合わせて般若心経を唱えることから始まります。特に信心深いわけではありませんが、毎朝これをやらないと心が落ち着きません。
習慣はやって当たり前、やらないと心が落ち着かないものです。朝の挨拶、歯磨、洗顔、通勤経路、会社でもルーチンがあり、いつもと違うやり方だったりすると違和感があるはずです。
これが良い習慣だったら続ければいいのですが、思考の習慣も含めて良くない習慣だとしたらどうにか変えたいものです。私の持論は『習慣は能力そのもの、習慣を変えたら人生が変わる』ですから。
能力があるのに納得のいかない人生を送っている人、人生で度々トラブルを起こす人、その多くは習慣がそうさせているのだと思います。
かたよった仕草などが習慣になったものを癖と言うそうですが、私には貧乏ゆすりという見苦しい癖がありました。上体が揺れるほどの貧乏ゆすりだったそうで社内ではよく話題になったようです。
と過去形にしているのは、勇気ある社員に指摘され今では改善したからです。一人の時も貧乏ゆすりはしません。無意識でするのが癖ですから知らないうちに出ているのかもしれませんが、多分やっていません。
因みにですが、私はため息をつきません。家族も社員も私のため息を一度も聞いたことがないはずです。だからどうしたって話ですが、私は悪くない習慣だと思っています。
貧乏ゆすりやため息の改善レベルではなく、自分の中の良い習わし(慣わし)である習慣を身につけたいものですね。私はそれが自分自身の将来を決定すると信じています。