私は新卒で就職した山梨中央銀行を3年で退職しました。在職中に勉強をしていた税理士を本気で目指すためでした。
すぐに本店の人事部長から呼び出されました。人事部長は、「これまで当行を税理士になると言って退職した人間は何人もいるが、なって帰ってきた人はいない」と、資格取得後の退職を勧めてくださいました。
無理を申し上げ固い決意をお伝えすると、人事部長は将来何かの役に立つかもしれないと仰って一枚のコピーをくださいました。ある本の1ページの写しで次の言葉が並んでいました。
『六中観』(安岡正篤)
死中活有り 苦中楽有り 忙中閑有り 壺中天有り 意中人有り 腹中人有り
『りくちゅうかん』(やすおかまさひろ)・・・私はどちらも読めませんでした。安岡正篤師は陽明学の大家であることは分かったものの、本を読んでみると難しすぎてさっぱり意味が分かりませんでした。
その後時代は平成に変わり、平成の元号を考案されたのが安岡正篤師であることを知りました。
今から10数年前、私は日本人の精神世界の基礎となっている論語に興味を持ちました。どこかに学べるところはないかと探しましたが、見つけられませんでした。
そんなとき、論語の特集が組まれていた一個人という雑誌に本屋で出会いました。その中の小さな記事で東上野に論語教室があることを知りました。しかも、その教室は安岡正篤師のご令孫安岡定子先生が講師をしているとあります。
論語と安岡正篤師がつながったことで、行くしかないという思いに駆られてすぐに講座を申し込みました。
東上野の講座に1年間通った後、是非とも国立に論語教室を開講していただきたいと安岡定子先生にお願いして始まったのが『くにたち論語塾』です。
それから13年、毎月第一月曜に大石会計のセミナールームで開講されています。単発でもご参加いただけるオープン講座です。
25歳のある日に人事部長からいただいた一枚の紙きれは、たしかに私の人生の上では大きく役に立ちました。どんな出会いがあるか分からないのが人生です。
紙切れと言っていますが私にとってはお守りです。40年近くたった今でも私の財布の中に納められたままです。