私は小学校5、6年生のころ牛乳配達のアルバイトをしていました。正確に言うと、亡き父の教育方針でやらされていました。
標高850mの河口湖は、夏は避暑地で過ごし易いのですが、冬の寒さはかなりのものです。朝は氷点下10度以下になることも珍しくありません。40年以上前のことですから、ろくな防寒着もなく、ただ重ね着して自転車での配達は少し辛かった記憶があります。
河口湖の実家は農家でした。夏休みの部活動のない時には小学生から大学生まで畑仕事の手伝いをしました。
これがまた辛いのです。収穫したキャベツを籠で担いで、足元の悪い畑から運び出し2トントラック一杯積むのですから、それは大変な作業です。
それにも増して辛いのは、野菜の苗の移植でした。力仕事ではないのですが中腰でやる作業なので腰にきます。
しかし、これも私が手伝うのは夏休みだけです。両親は冬場を除いてこの過酷な仕事をしていたわけです。自分で経験しないと本当の意味での辛さは分かりません。年老いて曲がった母の腰を見るにつけ、頭が下がります。
母は私たちの子供時代を振り返って、「可哀相な育て方をしたね」と後悔の言葉を口にします。ありがたいことです。
あの牛乳配達も農作業も、その後の人生にとても影響しているように思います。少々のことではヘコタレませんし、世の中には辛い立場の人がたくさんいることも分かります。
時代が違うと言えばそれまでですが、今の子供たちにそんな経験はさせられません。
親や先輩から厳しく怒られたり、道理のない指導を受けたりしたことのない若者が社会に出て、多少の理不尽な出来事や厳しい場面に直面した時に、過去の経験の中に比べるものがあった方がいいのです。
苦しみが人を成長させると言ったら誤解されるかもしれませんが、楽しく緩い環境の中で人が成長するのは難しいものです。
人は誰でも苦のない穏やかな人生を送りたいと願うものです。しかし、私たちの人生は平穏なことばかりではありません。
予想もしていない病、経済的な苦、人間関係の悩み、永遠の別れ、どんなに頑張っても避けられない苦難はあるものです。
そう思いつつ、安易に流されてしまう日ごろの自分には反省です。
『苦中楽有り』……いかなる苦にも楽がある。貧といえども苦しいばかりではない。貧は貧なりに楽もある(六中観より:安岡正篤師)