人は誰でも、自分の中に価値観の基準となる物差しを持っています。そして、大概の人は自分自身の物差しの基準が正しいと思っています。
正しいと思わなければ、生きることに疲れ果ててしまいますから、自分を肯定することは間違いではありません。
しかし、これがまた曲者でもあります。自分の基準に合わない人を間違っているだとか、ダメだとか、排除しがちだからです。
世の中には自分と違う考え方をする人がたくさんいます。お金、学歴、家柄、宗教、時間、正義、誠実、責任、貢献、犠牲、挨拶、笑顔……むしろ同じ考え方の人なんていません。
これは考え方が違っているだけなのです。自分と違う基準を持っているだけなのです。基準が違っているだけで、間違っているわけではないのですから、「間」を抜くのが正しいのです。
私がいつも正しい基準を持っていたなら、これまでの人生では当然正しい判断を積み重ねてきたはずです。すると、あらゆることにいい結果がもたらされたことでしょう。そうしたら、私は今頃国立市で会計事務所をやっていたかどうか分かりません。
自分の考え方や基準なんて適当なものです。私も反省ですが、自分に優しく相手に厳しいなんてことは起こりがちです。
将来の環境は、これからの自分の判断と行動の結果ですから、他人に期待をするものではありません。いい環境を手にするためにも、自分に対して甘い物差しの基準を、少しでも高めなくてはいけませんね。反省してしまいます。