論語読みの論語知らずと言います。私もその一人かもしれません。家内にはよく「論語を勉強しているのにね」なんて皮肉を言われていますから。
論語に書かれていることは、多くの日本人が大切にしたいと考えることです。建前論や理想論ではなく、また出来そうで出来ないことばかりです。簡単にそこに書いてあるように出来たら苦労はありません。
昭和の哲人といわれる安岡正篤師ですら、60歳を過ぎてから自身を「論語読みの論語知らず」と自称していたそうですから、私なんぞが分かろうはずもありません。
人は誰でも自分のことを分った気になっていても、案外分っていないものです。分っていないということを分っていないのです。
もちろん論語を知らなくても生きていけますし、立派な人はたくさんいます。そういった方々は、育った環境等で論語的な思考が身についているのです。
どんなに才能があったとしても、徳がないと人を率いることができません。記憶に残る経営者や上司は、やはり徳のある人ばかりです。
論語は知識として学んでも意味はありません。その一部でも習慣となり、徳のある生き方ができたらいいですね。人生が豊かになります。
私にとっての論語は仕事ではないので、空いた時間や思い立ったときに読めればいいと思っています。大切なことは論語に触れる機会があることです。死ぬまで論語読みの論語知らずもまたいいかもしれません。
大石会計では毎月第1、第3月曜日に安岡定子先生による『くにたち論語塾』を開催しています。私も一生徒として学び続けて5年半が経ちました。
こんな貴重な講座は多くの方に体験していただきたいです。ご都合のつく方もつかない方も、どうぞご参加ください。心からお待ちしています。