ゆとり……耳に優しいいい言葉です。一生を通じて死ぬまでゆとりのある人生を送れたら、それこそ理想的な生涯ですね。
しかし、この耳に優しい「ゆとり」という言葉が曲者でした。かつて国の政策で進められた「ゆとり教育」「ゆとりローン」、結果は散々なものでした。子供の脳みそにゆとりなど要らなかったのです。約束されてもいない将来の昇給を当てにしての借金ははじめから危険だったのです。
これらは国がやることがいつも正しいとは限らない典型的な例ですが、普通に考えたら分かりそうなものです。しかし大衆は弱いもので、優しい言葉には負けてしまいます。
最近危ないと思っているのは「ワークライフバランス」なるものです。響きが良く誰からも受け入れられ易いのですが、その目的はいったい何なのでしょうか。
現在の人生を豊かにすることに、どれだけの価値があるのでしょうか。若い人は今が多少厳しくても将来40~50歳になったときに豊かな人生を送れることが大切だと私は考えます。
私は亡き父から「男の人生は30歳までで決まる」と言われて育ちました。これは私にとって、一番ありがたい父からの教えでした。
身体を鍛えること、勉強すること、技術を身につけること、いい習慣を身につけること、いい人間関係をつくること、卓越した人生観を持つこと、これらは早ければ早いほどいいのです。
50歳になってから一所懸命働くことはもちろん大切なことです。しかし30歳までに基礎ができていない人は、後半戦をいくら頑張ってもなかなか人生の逆転はできないものです。
元英国首相のサッチャーさんは、国民に勤勉と倹約を勧めました。「金持を貧乏にしても、それで貧乏人が金持ちになるわけではない」と言った鉄の女の基本的な考え方は「働かざるもの食うべからず」でした。
このように書くと批判の声も聞こえてきそうですが、私は長時間勤務や過酷な労働がいいとは考えていません。人生の後半戦を豊かにできるように、職場だけでなく会社を離れてからも自分自身への投資を怠ってはいけないと、特に若い人たちに言いたいのです。