小中学校で実施されている全国学力テストにおいて、結果を公開することに賛否両論あります。
反対する人は、公開が差別や人権侵害に通じると言うのです。見方が一面的過ぎます。個人の成績を公表するのではないのですから。
生徒はもちろんのこと、先生にも緊張感を持って指導していただく意味でも、結果を公開する必要があります。
差別はよくありませんが、わけの分からない平等主義もよくありません。機会は平等に与えられても、その結果までが平等とは限らないのです。
大人の世界にも格差がないことを是とする風潮が強くなっています。私は、20年ほど前から言われている、1億層中流意識が日本を駄目にしているように思います。
格差がいいとは言いません。しかし自由経済ですからある程度の格差は仕方がないのです。かつての日本もそうでしたが、格差があるからこそ活力が生まれるのです。
教育の場では、学問はもちろんですが、頑張って努力して挑戦することがどんなに大切なことかを教えてほしいものです。むやみに人の世話になることは恥だという、恥の文化を教えることも大切です。
儲けるためには死に物狂いで努力し自由競争をさせる。そして結果が不平等になり格差が生まれても、それは個人の能力に原因があるのだから仕方がないこと。普通の日本人にはそんな冷めた考え方は出来ないものだと藤原正彦さんは言います。
本当に能力のない人や頑張った結果上手くいかなかった人には、国や地域が支援する安心感が日本にはあります。しかし一番大切なことは、まず努力して挑戦することなのです。