先日帰省した折、母に大石会計事務所では教育勅語の暗唱をしていると伝えたところ、たいへん興味を持ってくれました。昭和一けた生まれの母にとって、教育勅語には何か特別な思いがあるようです。
「朕惟ふに 我が皇祖皇宗 国を肇むること宏遠に 徳を樹つること深厚なり……」、私が唱えると、それに続けて唱えようとする母。しかし、2割くらいしか思い出すことが出来ません。それでも、多少なりとも覚えている我が母に感心しました。きっと小学生のときに暗唱して以来、70年ぶりに唱えたのだと思います。
ひと通り唱えた母は、教育勅語をもう一度覚えたいと言うではありませんか。年老いて、この頃はすっかり気弱になっていた母の、予想外に意欲的なひと言は息子にとってこの上なく嬉しい瞬間でした。
母は教育勅語を覚えるために、何か書きものが欲しいと言いました。情報は何でもインターネットで入手できる時代に、パソコンなど触ったことのない母です。教育勅語を手に入れる術が分かりません。国立に帰ったら、明治神宮でいただいた携行教育勅語を送ってやる約束をしてその日は別れました。
翌日、ひと言手紙を添えて教育勅語を送りました。そういえば、いつも要件は電話で済ませていたので、母に手紙など書くことはありませんでした。ほんの短い手紙ですが、妙に改まり、気恥ずかしい気持ちになるから不思議です。
ところで、母に手紙を書きながら、かつて祖母が靖国神社に行きたいと言っていたことを思い出しました。祖母は大東亜戦争で戦死した長男が祀られている靖国に行きたかったのですが、行く術もなく孫の私に頼んだのでした。年寄りには時間がないことが、二十歳の学生には分かっていませんでした。「分かった。こんど連れて行ってあげるよ」と言っておきながら、約束を果たさないうちに祖母は亡くなりました。
事務所で教育勅語をやることについて、多少批判的なご意見もあろうかと覚悟はしていたのですが、あにはからんや。ご年配の方を中心に、賛同する人や褒めてくれる人はいても、嫌な顔をする人には一人も出会っていません。教育勅語は日本人の魂の原点なのですね。