今年いただいた年賀状に書かれていた『吾唯足知』(われただたるをしる)という文句に、なぜか私はハッとしてしまいました。子どものころ、よく親に「足るを知れ」と叱られたからなのかもしれません。
日ごろは意識することもありませんが、いつも何か足りない感があるのは私だけでしょうか。それで、具体的に何が足りないのかを考えてみると、足りないものを何ひとつイメージできないのです。充分ではないにしても不足しているものは何もないのです。「吾唯足知」……言葉としては簡単ですが、信念にするには簡単なことではありません。
お釈迦様はご臨終の際、最後の教えで「足るを知っている者は地べたに寝るような生活であっても幸せを感じている。しかし、足るを知らない人は天にある宮殿のようなところに住んでいても決して満足できない」と言ったそうです。どんなに文明が発達しても、2千年以上前から人間の本質は何も進歩していないのが分かります。
わが身を振り返ると、優しさ、愛情、気遣い、情熱、根性……足りないところだらけです。にもかかわらず、それを他人やモノ、環境に求めてしまうのです。勝手なものです。結局のところ、本当に足りないのは感謝の心です。反省してしまいます。
人というのは忘れやすいものです。しかし、2011年3月11日、あの日に何を感じたかを忘れたくありません。命が助かっただけで、大切な人と一緒にいられるだけで、職場があるだけで、「ありがたい」と思ったものです。
のど元過ぎればといいますが、1年近く経った今ではあの日の話題は確実に減ってきています。しかし東北の被災地では、今でも30万人を超える人が避難生活を送っているのです。いま普通に暖かいところで生活できていることに本当に感謝したい気持ちです。不足しているものなどないのですから。