格差社会

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 近年では、働きたいと思っても若者は就職内定さえもらえず、どうにか就職できたとしても、サラリーマンの年収は過去10年間で1割以上減少しています。出生率の低下による労働人口の減少、将来の年金問題、1000兆円に迫る借金問題、……日本の将来は真っ暗であるかのように言う人ばかりです。

 資本主義がうまく機能しないと(機能し過ぎると)格差が広がり社会運動が起こります。一方かの共産国家ではうまく資本主義が導入され、本来なら人類みな平等が理念であるはずなのに大きな格差が生まれています。面白いことに、体制と現象とがそれぞれ逆転しているのです。格差は、人間の性が生み出させるのであって、政策や主義主張は関係ないのかもしれません。

 一番簡単な格差解消法は、格差の上位の水準を低下させることです。つまり、資産家や高額所得者いじめです。しかしそれでは、根本的解決にならないどころか国力をも低下させてしまいます。したがって、やらねばならないことは下の水準を押し上げることで格差の解消を図ることです。しかしそれで格差がなくなったとしても、公平感が生まれるなんてことは絶対にありません。チャンスは平等、結果は不平等……ある意味、仕方のないことです。

 過去20年の日本は、ゆとり教育と労働者の権利拡大とで国力を大きく低下させました。北欧諸国が取り組んだように、国民の教育水準を上げることで国力は強まるのです。つまり、脱ゆとりなのです。勉強せず、働かず、納税せずでは国民の三大義務はなにも果たしていません。少なくとも国がそれを推奨するようでは困ったものです。

 イギリスのサッチャー元首相は「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにはならない」と言いました。事業成功者、お金持ち、資産家……悪いことで蓄財したのでなければ、その苦労と多額の納税は本来なら賞賛こそされても後ろ指をさされる所以はないのです。

 会社はおとなの学校です。社員がよくなれば家庭がよくなる。家庭がよくなれば子どもがよくなる。子どもがよくなれば社会がよくなる。企業は大切な社員に投資し育て業績を上げ待遇も向上させる。それが企業にとって一番の社会貢献ではないでしょうか。