ちかごろ、書店に行くと「論語」関係の書籍が多いことにお気づきでしょうか。聞くところによると、どうやら最近は論語ブームということらしいです。ワタミの渡辺美樹さんをはじめ、経営者の書いた論語関係の本も少なくありません。それにしても、いまから2500年前の中国で書かれた古い書物がどうしていまだに愛読されているのでしょうか。
2500年前の日本といえば弥生時代の前期です。人々は竪穴住居に住み水稲農耕が始まった時代です。2500年を経てもなお、論語はわたしたちに生きる知恵や人生の指針を伝えているのですから、人間の精神構造は大昔も今も変わっていないということです。
ブームに乗ったつもりもないのですが、わたしも半年ほど前から都内某所で論語を学ばせていただいています。ご年配の方から若者までが机を並べて学ぶことは素晴らしく、あらためて新しい時代にも古い時代の教訓は必要なのだと感じています。
明治より前、近代の教育制度が整う前は、寺子屋や藩校で読み書き算盤が教えられていました。その頃の読みでは教材に四書五経(論語は四書のひとつ)といったものが使われていました。当時のこどもたちは訳も分からないまま論語を素読させられていたのです。理解できないまま諳んじているうちに、人として大切にしなければならない人生観や生き方が自然と身についていたのです。
一方で、いまの教育現場はどうでしょうか。無条件に論語などを学ぶ機会はなく、偏差値を重視した教育が行われています。そうした教育では、道徳や人としての基本的考え方は軽視されがちで、その結果、礼儀や信義よりもスキルや知識に偏った未成熟な若者が増えてしまいます。そして現在の社会問題の多くは、それが原因になっているのではいないでしょうか。
50歳代にして発展途上のわたしも偉そうには言えませんが、大切なことは、人としての足りなさを知って学ぼうとする姿勢なのだと考えます。そして、学ぶだけではなくそれを実践していくこともまた大切なことです。
わたしは、会社というものを「おとなの学校」だと位置づけています。会社の使命のひとつには、将来を担う人間の育成があります。そのために会社は必要であり、適正な利潤はその会社を継続するために必要なのです。
経営者にとって経営とは生き方そのものですから、会社に表れた症状のすべてが経営者の人生観や人格の表れです。霞を食べて生きていくことはできませんが、こんなに厳しい時代でも「武士は食わねど高楊枝」とばかりに堂々と振る舞うことができるそんな経営者、そんな日本人でありたいと思います。
「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない」……渋沢栄一『論語と算盤』
大石会計では2011年1月22日(土)の『経営フォーラム2011』で安岡活学塾の安岡定子先生による論語についての講演を予定しています。