水清無魚(すいせいむぎょ)

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 正論をかざす会話ほどつまらないものはありません。正論は正論ですから反論のしようもなく、議論になったら絶対に負けることがないからです。しかし、言われた方は「それは確かに正論だけど、現実には…」と言い訳もできずに逃げ場を失い、納得がいかないままに話は終わることになります。

 そんな正論を言い合う人たちに微笑ましさはなく、むしろ冷たい関係を感じてしまいます。もしそれが夫婦の場合でしたら、少し危うい状況かもしれません。

 そもそも、正論とはものごとの道理を言います。それは言っている本人独自の考えではありません。にもかかわらず、さも自分の意見であるかのように、上から目線で偉そうに言うのではけっこう間抜けな感じにさえなってしまいます。

 例えば「人生カネじゃないんだよ、わかる?」とか「大切なのは外見じゃなくて中身なんだよ」なんて言われると、ごもっともなだけにその場は白けてしまうのです。ましてや、正論の中味が学歴、家柄、職業などになると、言われた人はそれを認めることが自己否定につながり傷ついてしまうこともあります。言った本人のデリカシーのなさに、どんなに高い学歴、家柄、職業もかすんでしまいます。

 しかしその正論をメディアがかざして攻撃したときにはさらにやっかいです。例えば35歳で羊水腐る発言をした歌手の倖田來未。その発言に問題がないとは言いませんが、それでも彼女のキャラを考えたら、世間もメディアも寄ってたかって正論でバッシングするほどのことかと思ってしまいます。少なくとも芸能活動を自粛するほどのことではないでしょう。

 イージス艦と漁船の衝突事故。当然日の丸を掲げた軍艦に非難が集中しますが、大きな船は急に止まるも曲がるもできません。相手は船団ですから曲がった先にも船がいたことでしょう。転覆した船の乗組員はお気の毒ですが、衝突しなかった他の漁船のように避けることはできなかったのでしょうか。

 救急車たらい回しによる患者死亡記事。人の命を救うのが医者の使命ですが、専門外の緊急患者を診ても、誤診や治療ミスをしてしまったら訴えられてしまうご時勢です。できることなら他の病院に廻して欲しいという気持ちもよく分かります。

 これ以上書くとわたしが非難されそうですから止めておきますが、このように、人は正論を表向きは肯定しても、心の中では「そうは言っても…」と納得できないでいることも多いのです。正論を言ったからといって、それが問題の解決につながるのならばいいのですが、実際には反対に問題の核心を見逃すことが多いから注意が必要なのです。

 「水清ければ魚棲まず」と言い、あまりに潔白でまっすぐすぎると人はついてこないものです。上の立場にある人こそ、許される範囲での寛容さをもって清濁併せ呑む度量も必要なのではないでしょうか。