私が大好きな街、国立に似た街が大陸の中国にあることを先日知りました。長春という街です。
知人の奥様が長春出身ということで聞いたところ、確かに基本となる街の形状は似ているとのことでした。
長春は、かつて日露戦争でロシアに勝利した日本が、ロシアから権益を譲り受けた満州国の首都です。
その地における南満州鉄道の初代総裁を務めた後藤新平が、満州時代につくった街が長春です。
長春をはじめいくつかの都市計画を指揮した後藤新平は帰国後、国立の街づくりに大きな影響を与えました。
ヨーロッパ留学の経験がある後藤新平は、一橋大学を中心とした国立の街づくりにあたり、ドイツの学園都市ゲッティンゲンをモデルにし、それに長春の街づくりを融合させたと言われています。昭和の初期のことです。
現在の国立駅前ロータリーには「国立文教地区」の看板が掲げられていますが、これは単に市内に大学や私立学校が多いからではありません。
いまはすっかり文教都市のイメージが定着した国立ですが、戦後米軍の占領下にあった時代に隣の立川市に米軍基地があった影響で風紀が乱れ、環境浄化を願う市民や学生たちによる住民運動が起こりました。
その結果1952年に国と東京都から文教地区に指定され、国立駅周辺にはパチンコ屋や風俗店は許可されない健全でアカデミックな街となったのです。
私の座右の銘であり、大石会計のクレドにも使わせていただいているのが後藤新平の次の言葉です。
財を残すは下 事業を残すは中 人を残すは上 されど財なくんば事業保ちがたく 事業なくんば人育ちがたし
私が後藤新平のこの名言を知ったときには、彼がこの国立の都市計画に大きな影響を与えたとは知りませんでした。そんな思わぬご縁にも感謝です。