私にもいいところはあると思うのですが、先日受けた適性検査では少し独善的傾向が見られると判定されました。確かに・・・。
「あいつ、いいところが一杯あるのに、あれはちょっと残念だね」みたいに、誰にだって長所短所があります。
理想論としては、長所は伸ばして短所は改善したらいいのですが、現実は言うは易く行うは難いものです。
よく長所伸展がいいと言います。船井幸雄さんも言いましたね。成功するためには苦手を減らすよりも長所を伸ばした方がいいということです。
これについて森信三さんの修身教授録の中にこんなくだりがあります。とても分りやすかったので紹介します。
『知識とか技能のような、いわば外面的なものについては、長所を伸ばすほうが良くないかと考えます。これに反して、自分の精神というような内面的問題になりますと、長所を伸ばそうとするよりも、むしろ欠点を矯正するところから始めるのがいいのではないか』
つまり長所を伸ばすといっても、それは知識や技術系の長所であって、性格的な長所とは明確に区別しなくてはいけないのです。
高校生がテストで赤点をとったら落第というケースは例外ですが、理数系が得意な人は理数系を伸ばせばいいし、文科系が得意の人も同じです。スポーツは得意だけれど勉強が苦手という人には、勉強を克服させるよりもスポーツを磨いた方がいいのです。
ところが、性格というような内面的なことになると、長所はすなわち短所、つまり表裏の関係といえる傾向あります。
能弁はおしゃべり、厳格は冷酷、勇気は粗暴といったように調子に乗って度を越すとたちまち欠点になるわけです。
短所を直そうとしたら長所が伸びないではないかといった意見はもっともらしく聞こえますが、事実はそうではありません。そもそも精神というものは、それが真に伸びるためには、必ず何らかの意味において、一種の否定を通らなければならないと言うのです。
自分の短所を認識して、すなわち自己反省を通らずして伸びたものは、精神としては真に伸びたのではなく、返って度が過ぎたものとして結局は欠点になるのです。
つまり性格にあっては、長所と短所は別物ではありません。同一物であるが、それが半生によって清められるか否か、ただそれだけの相違に過ぎないというのです。分りやすいけれど、深いです。