先週末に行った大石会計の社員旅行は鹿児島県の知覧でした。知覧は太平洋戦争末期の陸軍の“特攻基地”があったところです。
今ではこの地に知覧特攻平和会館が建っており、特攻兵が家族に送った手紙や遺品等が展示されています。
太平洋戦争終盤の厳しい戦況下、日本陸軍航空隊が選んだ戦術は敵艦への体当たり特別攻撃つまり特攻でした。
20歳前後の優秀な若者たちが自らの命を捧げて、家族のため、祖国のため、片道の燃料のみを積んで南の空に飛び立って往きました。
特攻直前に書いた家族宛の手紙は涙なく読めません。国の戦略とはいえ、納得していた若者は少なかったと思います。日本男児に生まれたからには、泣き言など言えなかったのかもしれません。
当時の若者も、今の若者と同じように夢があったはずです。恋もしていたはずです。逃げ出したい気持ちになった者もいたはずです。特攻前夜、多くの若者たちは布団を被り泣いていたそうです。どんな思いで出撃したのでしょうか。
特攻が正しい選択だったとは思えません。しかし、かつての日本の若者に何があったか、家族はどんな思いで戦地に送り出したのか、戦争とは、平和とは・・・・・・知覧は、この恵まれた時代に生きている私たちに、考えるきっかけを与えてくれている気がします。
それにしても、手紙の多くは母親宛のものです。母親の愛は無条件です。いつの時代も母親は特別な存在なのですね。