人生には二度目がありません。これは真理なのですが、平素からそこに思いを巡らす人はいません。
よく考えてみると、私たちは人としてこの世に生を受けたことにも感謝が必要な気がします。自分の努力によるものでないので、日ごろは命の貴さに対して深い感謝の念を、愛惜の念を感じないのです。
感謝どころではありません。世の中には、自分の置かれた環境に不満を持っている人が溢れています。何に対して納得がいかないのでしょうか。
納得のいかない人生をもう一度やり直せるとしたら、あなたはチャレンジしますか。どこの国のどの親の元で生まれるのかもやり直すのです。つまり、人生のアミダクジの引き直しです。
そんな勇気のある人はいるでしょうか。今の環境に納得がいかない人も、どれだけ恵まれているのかをもう一度考えてみたらいいのです。
先日義母が亡くなりました。これまでも実父を含め周囲で多くの生死を見ていながら、恥ずかしながら自分の生命に対して深い愛惜の念を持つことはありませんでした。
いま還暦を迎え、人生の秋風を身に感じ始めるころになって、やっと命や時間の貴さを感じるようになりました。若い頃は、あって当たり前でありがたさも分りませんでした。
命が惜しいのとは違います。命が有限であることを感じ始めたのかもしれません。いま生きていることに感謝ですね。
多くの人はこれまでの人生の空費が、試験の結果やスポーツで負けた悔しさほどにも心に響いていないはずです。それは私も同じです。
人生は、誤解されることもあります。努力が認められないこともあります。理不尽な扱いを受けることもあります。信頼していた人から裏切られ悲しい気持ちになることもあります。
それでも、もう一度アミダクジを引く勇気は私にはありません。我が人生を振り返ると、どう考えてもありがたいことばかりです。与えられた環境下で精一杯やっていくしかありません。感謝をこめて。