『財産は一代で築けても、品は三代かかる』、子供の頃に亡き父から言われた言葉を今でも時々思い出します。
農家の次男の私は品とはほど遠い人間です。気品ある人に出会うと憧れの思いで見てしまいます。ないものねだりというものです。
気品は見えるというより、感じてしまうものです。ある意味、人間の最も貴い価値を表す言葉なのかもしれません。
素敵な洋服に身を包んだ美女に気品があるとは限りません。性格が良くても、お金があっても気品とは関係ありません。でも、気品のある人はだいたい性格が良くてお金がある人に多いのは確かです。
父が言ったように、気品は自分一代が修養したからといって身につくものではありません。誰の子供に生まれたのかが大いに関係します。つまりDNAや育ちの関係が大きいのです。
あなたに気品があるのだとしたら、きっと、ご先祖様に徳があり、道を外さない生き方をしてくれたお陰なのだと思います。
森信三さんは、「我々が気品のある人間になるためには、慎独、すなわち、人間がただ一人でいる場合にも、深く己を慎むようにしなければならない」と残しています。
内心の曇りを払って、常に心の清らかさを保つことも大切ですが、誰にも見られていない独りを慎むということの方がより大切だといいます。
慎独は簡単ではありません。人知れず陰徳を積むのです。二流人には演じ続けることさえも難しいことです。
子を見たら親が分るといいます。私の修養が三代目の孫の品格に影響するのだとしたら責任は重大です。