犠牲は必要

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「忙しい、いそがしい」と口にする人がいます。一口に忙しいと言っても忙しさにも種類があります。

 時間を拘束されているだけの忙しさ、余裕がなく文字通り心を亡くした状態の忙しさ、周りからは大変そうに見えても本人的には心に余裕のある忙しさ。

 忙しいということと、余裕がないということとはまったくの別物です。どんなに忙しくても余裕がある人もいれば、忙しくなくても余裕のない人がいます。

 夢に向かって忙しい人は、「オレには余裕がないんだよ」なんて口にしません。周りから見ていると、とても忙しそうに見えても、本人の気持ちはさほどでもないのです。

 私は新卒で入社した銀行員時代に税理士の勉強を始めました。当時の銀行は今でいうところのブラックな世界で、帰宅は毎日23~24時でした。もちろん残業手当なんてありません。

 その環境で勉強をするとなると、人付き合いや睡眠時間を削るしかありません。何かに本気になったら、別の何かを手放すことも必要です。

 この頃の若者には、勉強を仕事の延長と捉えて時間は会社が用意してくれると思っている人が見受けられます。お金を稼ぐということは時間を売っていることでもあります。お金をもらいながら時間も提供されることは普通ありません。

 資格試験を含めて勉強は会社のためではありません。自分自身のため、自分の生き方や人生を充実させるためです。

 私の税理士受験は誰かに頼まれたわけではなく、自分で勝手に始めた勉強でした。はじめの頃は先の見えないときもありましたが、多少の不安はあれど心が折れそうになったことは一度もありませんでした。

 あの本気になった2~3年を安楽に過ごしていたら、今とはまったく違った人生になっていたことは容易に想像できます。少なくとも20歳代で税理士開業は出来なかったはずです。

 忙しいことを望まない人は、忙しいことは困ったことだと思ってしまいます。夢があったら誰もが忙しいに決まっています。

 何かを得ようと思ったら別の何かを手放すのです。本気になったら、必ず何かの犠牲が出ます。成功している経営者を見ていると、程度の差はあれどみんな経験していることです。

 でもこれは分かる人には分かっても、分からない人には死ぬまで分からないでしょうね。